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〇拡散フリー《SAPIOに寄稿した朝鮮半島過去の核心レポート(第3回)》

Primary sources一次史料Korea韓国・朝鮮

This post was written in Japanese. It is shown here in English using Google’s machine translation, so some wording may be rough.
〇拡散フリー《SAPIOに寄稿した朝鮮半島過去の核心レポート(第3回)》

■小生が上梓した「ひと目シリーズ」等の資料本の一次資料に基づいた解説を
短くまとめた『SAPIO』のレポートですが、かなりどぎつく表現しましたが、
編集部に一切抗議は来ませんでした。
それは「法と証拠」の裏付けがあるからなのです。

これ以外の『SAPIO』に掲載した約50本のレポートは、
『水間条項・国益最前線動画』の会員動画に
毎週1本のレポート(写真や資料含む)のURLを記載しますので、
インターネット上のパクリ記事等に満足できない方は参考にして下さい。
12月27日収録分から掲載します。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【韓流ドラマの“煌びやかな宮廷物語”こそまさに歴史の捏造:「お金」も「学校」もなく街は糞尿だらけ日本併合前の朝鮮は“原始の国”だった】ジャーナリスト水間政憲(2013年10月号)

韓国では、
「日本の統治がなければ韓国は今以上に発展していた」との考えが定説となっている。
だが、実際には韓国統監府と朝鮮総督府時代の40年間に
近代国家に必要なあらゆる社会インフラが整備された。
日本が統治する以前、朝鮮がいかに未開の地であったかを明らかにする。

《国旗》

中国の属国だった朝鮮は、真の独立国家ではなかった。

1882年9月に朴泳孝を「修信大使」とする一行が、明治丸で訪日したとき、
英国人船長が、
「朝鮮国王の使節が礼訪するのだから
 貴国の国旗を貸してくれればマストに「掲げる」と申し入れた。
国旗がなかった朝鮮側が慌てて用意したものが「太極八卦」だった。
だが船長が「八卦は複雑だから四卦だけを四隅に配すほうが良かろう」と
アドバイスして修正されたものが、現在も使用されている太極旗である。
韓国国旗が初めて掲揚された場所は、使節団が宿泊した神戸の施設だった。

《文字》

朝鮮は15世紀半ばまで独自の文字を持たなかった。
中国に追従する事大主義が支配していた朝鮮では漢字を使うことが文明であり、
独自の文字を持つ日本などは未開とされたためだ。
ハングルが作られたのは李氏朝鮮第4代国王・世宗の時だ。
そのため、古典は漢字で書かれている。
余計なお世話だが、近年のハングル至上主義で
漢字が読めなくなった韓国人はどうやって古典を読むのだろうか。

《貨幣経済》

近代金融制度が未整備だった朝鮮では、
第一銀行韓国総支店(1878年設立)が1902年から第一銀行券を発行し、
「大韓帝国」(同年に李氏朝鮮が国号を改めた)の紙幣として流通した。
実質的な中央銀行の役割を日本の民間銀行が果たしたのだ。
それ以前は基本的に物々交換だった。
李氏朝鮮時代には何度か貨幣が鋳造されたが、
額面より実際の流通価値が低かったり、通用が禁止されたりして、普及しなかった。
かわりに用いられたのが米や麻布、綿布などであった。

《産業》

貨幣経済が未発達で商品の流通が円滑にいかないため、
工業や商業はほとんど発達しなかった。
工業は農家が副業で行なう手工業程度だった。
イギリス人旅行家のイザベラ・バードが1894年に釜山に上陸して見た近代的産業は、
すべて日本人の手によるものだった。
〈銀行業務は東京の第一銀行が引き受け、
 郵便と電信業務も日本人の手で行われている。
 居留地が清潔なのも日本的であれば、朝鮮人には未知の産業、
 たとえば機械による精米、捕鯨、酒造、
 フカひれやナマコや魚肥の加工といった産業の導入も日本が行った〉
(『朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期』イザベラ・バード著、講談社学術文庫。以下同)

《近代司法制度》

三審制の近代司法制度が整備されたのは、朝鮮総督府時代になってからだ。
1911年発行の『日本之朝鮮』(有楽社刊)には2枚の写真が掲載されている。
ひとつは李氏朝鮮時代の裁判の様子(写真①)で
「舊(旧)裁判」とキャプションが振ってある。
もうひとつは司法制度が整った後の様子(写真②)で「新法廷」と書かれている。
様変わりしたことがわかる。
イザベラも李朝時代の司法の未開度について記している。
〈朝鮮人には独特の処罰方法があって、役所の雑卒が容赦のない笞打ちを行い、
 罪人を死ぬほど打ちすえる。
 罪人が苦痛に叫ぶ声は近くのイギリス伝道館の中にまで聞こえてくる〉

《道路》

首都・漢城(現在のソウル)には道路すらろくになかった。
というのも、漢城の土地はすべて国有地であり、平民が許可を得て土地を借り、
建物を建設するには長い年月を必要とした。
そのため、路上の不法占拠が当たり前となり、
無許可の建物が林立して道幅はどんどん狭くなったのだ。
日本が近代国家に生まれ変わる以前の江戸と比較しても、
いかに都市計画が存在しなかったかがわかる。

『ソウルはこの世でいちばん不潔な町』

《衛生》

鼻が曲がりそうな糞尿の悪臭は、朝鮮半島諸都市の悪しき名物になっていた。
家々から出た汚物は路地の穴や溝に流れ込んだ。
朝鮮版朝日新聞に
「平壌の臭気一掃 いよいよ糞尿地下タンク新設」の記事が
掲載されたのは1938年12月11日だった。
それ以前の様子をイザベラはこう記している。
〈城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。
 北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、
 紹興へ行くまではソウルの悪臭こそ
 この世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!〉

《住居》

家は竪穴式住居に近いものがあった。
フランス人宣教師、シャルル・ダレが1874年にまとめた『朝鮮教会史』の「序論」
(日本では東洋文庫『朝鮮事情』として翻訳出版)にはこう書かれている。
〈あなたは、みすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。
 ではあなたの知っている最も貧しい茅屋を、
 その美しさと強固さの程度をさらに落として想像してみて下さい。
 するとそれが、みすぼらしい朝鮮の住まいについての、
 ほとんど正確な姿となるでしょう〉
儒教思想が強いため、王宮よりも高い建物を建てることは許されず、
2階建ては存在しなかった。

《染料》

韓流ドラマに描かれている李氏朝鮮では、民衆は色とりどりの衣服を着ているが、
それらの場面は理想化した「ファンタジー」だ。
日朝修交条規(1876年)が締結されて日本の安い染料が手に入るまで、
庶民は色物の衣服を着られなかった。
写真③(特集巻頭6~7ページに掲載、以下同)は
1929年に朝鮮総督府が発行した
『生活状態調査 江陵郡』第32号に掲載されたものだ。
ところどころ色のついた服を着ている者が見えるが、
当時でもまだほとんどの衣服が白だけだったことがわかる。

《洗濯》

写真④(前出『日本之朝鮮』掲載)は洗濯の様子を撮ったものだ。
小川というより、排水溝のような細い流れに女性たちが密集している。
前述の通り衛生事情は最悪で、川に糞尿が流れ込んでいた。
イザベラもこう記している。
〈ソウルの「風光」のひとつは小川というか下水というか水路である。
 ふたのない広い水路を暗くよどんだ水が、
かつては砂利だった川床に堆積した排泄物やごみのあいだを、
悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく〉
これであらったことになったのだろうか。

《商店》

李氏朝鮮では、商店といえば貴族階級である「両班」を対象にしかたものがほとんどで、
庶民は5日おきに開かれる市場で物々交換していた。
日本統治以降もなかなかその慣習は変わらなかったようだ。
前出の『生活状態調査 江陵郡』第32号に掲載されている写真⑤~⑥には、
地べたで米を売る光景や靴下の行商人が写っている。
写真⑦(『生活状態調査 水原郡』第28号、1929年、朝鮮総督府発行)は
市の露店商だ。

《教育》

朝鮮総督府は「一面二校(面は村の単位)を目標に小学校を次々に開校していった。
1943年までに4271校を設置して「一面二校」を実現した。
それらは当時日本国内にもなかった
コンクリートやレンガ造りの三階建て校舎などだった。
日韓併合当時、朝鮮に公立学校は約100校しかなかった。
外国修道会やキリスト教系学校も設置されていたが、
2桁を超えるまでにはなっていなかった。
かわりに多数存在したのが「書堂」(寺子屋)だが、
それらは学校と呼べるレベルに達していなかった。
写真⑧(前出『生活状態調査 江陵郡』第32号掲載)は、
書堂を写したものだが、「堂」ですらなく屋外で地べたに座っている。

《妓生》

慰安婦問題で、世界中に「性奴隷」という言葉を広めた韓国だが、
もともと李朝時代には性的奉仕を行なう「妓生」がおり、身分は奴婢だった。
李朝には彼女らを管理する「妓生庁」が存在した。
妓生は貢ぎ物として中国に輸出されることもあった。
性奴隷はまさに彼の国の“特産品”だったのだ。
現在でも世界中に売春婦を“輸出”していることが問題になっている。

サッカー東アジアカップ日韓戦は横断幕「歴史を忘れた民族に未来はない」を掲げた。
彼らこそその言葉を噛みしめるべきだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆近現代史研究家・ジャーナリスト水間政憲

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【ニコニコ】http://www.nicovideo.jp/watch/1527787649

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◆【近現代史研究家・ジャーナリスト水間政憲】

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Originally published on Mizuma’s blog 「水間条項」国益最前線.初出:水間政憲のブログ「水間条項」国益最前線 Read the original ↗元記事を読む ↗

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