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拡散《オヤジになったら歴史に学び、残りの人生の指針にして下さい!》

Primary sources一次史料

This post was written in Japanese. It is shown here in English using Google’s machine translation, so some wording may be rough.
ENGLISH TRANSLATION

※写真は、紀伊國屋札幌本店で8月14日15時から開催されるトーク&サイン会のチラシです。


拡散《オヤジになったら歴史に学び、残りの人生の指針にして下さい!》

■また暑いあつい8月15日が近付いてきました。

小生が、臆面もなく自著を堂々とご高評いただけることを繰り返し、呼びかけているのには訳があります。

それは、歴史認識から国家意識を問う関係本は、毎月、繰り返し多数出版されていますが、外交問題を封じ込めることができる「一次資料」が収録されているものは、ほとんど出版されることが無いからです。

人間、誰しも40歳になれば、残りの人生を少しは考え始めます。それまでは、経験することで人生の糧とすることも出来たでしょうが、40歳を過ぎると、経験できる環境も残りの時間も狭まってきます。そこで、光陰矢の如し、皆様方が残り人生の貴重な時間を無駄にしないために、自著を呼びかけているのは、国立国会図書館や各大学図書館に一切所蔵されていない「スクープ資料」を収録してあるからなのです。それは、「自著は自著であるけど自著にあらず」とでも申しましょうか。「一次資料」には、公共性のある資料も多数あり、いわば各公共図書館は、所蔵する義務がある資料本だからなのです。また、スクープ資料が発掘できたのには、「英霊」が背中を押してくれたとしか考えなれない経験を何度となくしているからです。小生は、この15年間、8月15日には、毎年欠かさず「英霊にこたえる会」が靖国神社境内でしている奉仕活動のお手伝いをしておりました。そんな中で10数年前、たまたま後ろに立っていた90歳くらいの老人が「周恩来もこの辺に立っていたのかなぁ…
」と、独り言を呟いていたのです。その時は、さほど気にとめることはありませんでしたが、中国からの靖国神社に関する内政干渉が、激しさを増して来ていた、2005年春に「あの老人の独り言」が天の声のように蘇ってきて、80歳を過ぎている旧軍関係者に、「周恩来が靖国神社を参拝した話を聞いたことがあるか否か」を、繰り返し確かめても、誰一人としてその事実を知っているものはおりませんでした。しかし、その中に「日本に留学していたことは聞いたことがあるが…」と、語ってくれた方がおり、その瞬間「これだ」と確信して、周恩来の留学時代の資料を、足を棒にして3ヶ月間くらい、関係本の参考資料から参考資料に当たり、徹底的に探し回っても見つけることが出来ず、諦めかけていたとき、靖国神社問題に関して、中国側が勝利したようになった1990年代後半に「周恩来の日記」が出版されていたことを知り、その日記を入手して精査していたら、「靖国神社の大祭に出会い、それを見てはなはだ大きな感慨を催す」との一文が、目に飛び込んで来たときは、正直震え
ました。これで日中間の靖国神社参拝問題は「ケリがつく」と、確信した次第です。この論文は『いまこそ日本人が知っておくべき「領土問題」の真実 国益を守る「国家の盾」』(PHP研究所)の第4章「靖国神社を拝観していた周恩来と世界のVIP」に所収されてます。このスクープは、2005年8月1日のフジテレビ『スーパーニュース』で、小生もビデオ出演して報道されました。因みに、東京の鶯谷には、周恩来が友人を訪ねて、足繁く通っていた禅宗のお寺が現存しています。検証論文に直接関係はないが、論文を書き上げるときには、お寺を確認のため 鶯谷まで出かけたりして、膨大な時間を費やしていますので、それらも伝われば幸いです。《http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=redir_mdp_mobile/378-3272802-7651555?uid=NULLGWDOCOMO&a=4569794130》

■『英霊の不思議な力を実感した体験』

それは「日本罪悪史観」を、全国に朝日新聞と連んで撒き散らしていた旧軍人に、トドメを刺すリポートの核心を書き上げるときの出会いです。それは、英霊のお力添えなくしてあり得ないことでした。

1937年の南京攻略戦後、中国戦線で戦った戦友の中には、戦後一度も会うこともなく忘れてしまう方たちが沢山いるとのことだった。2005年5月、中国へ招待され、廬溝橋や南京で土下座をしていた旧軍兵士が、中国で大々的に報道されていた。

それは、小泉純一郎首相が「どんなことがあっても8月15日に靖国神社を参拝する」と、首相になるときに公言してから、中国が、8月15日が近付くと、毎年繰り広げていた政治宣伝の道具として利用された老人のパフォーマンスだった。ところがよくよく調べて見ると、その老人は、朝日新聞と連んで全国で1000回以上も「日本罪悪史観の語り部」として、もてはやされていたトンでもない人物だったのです。

この先は、英霊が小生のリポートを後押ししてくれたとしか、考えられない連続でした。そのトンでもない人物は、第15師団51連隊第2大隊6中隊に所属していた。

戦後60年になり、同じ連隊に所属していた旧軍兵士を探すことだけでも大変なのですが、偶々、土日に「英霊にこたえる会」で奉仕活動をされていらっしゃる中に、51連隊の生存者の方々がいたのです。それで、大体のことは判ったのですが、より詳しく取材するには、同じ中隊に所属していた兵士の証言が、どうしても必要だったのです。それが出来なければ、トンでもない人物を名指しで糾弾することはできません。このときも半ば諦めかけていたのですが、2005年7月21日、奈良県の遺族会の方々が、靖国神社を参拝した中に、探し求めていた51連隊第2大隊6中隊所属の旧軍兵士がいたのです。

その方は、「英霊にこたえる会」の奉仕活動をしていた戦友と60年ぶり以上の再会にも拘わらず、面影を頼りに声をかけてきたとのことでした。それは、奉仕活動をしていた戦友は、51連隊の連隊旗拝受のため、連隊長に随行して宮中に参内してから、51連隊の解散まで見届けた有名人だったから、記憶されていたとのことでした。これらの人々との出会いは、英霊が会わしてくれたと考える以外、奇跡としか表現できないことでした。
これら一連の靖国神社のリポートは、翌2006年に「ジャーナリスト大賞」にノミネートされていました。

一次資料は、中国政府を黙らさせる力がありますが、保守論壇のつまらないところは、これら一次資料を話題にしないことです。その狭小な姿勢が、国益を損ねていることに、国民が気付くべきですが、気づいていらっしゃる方は、現在、覚醒されていらっしゃるインターネットユーザーの皆様方だけなのが、残念でなりません。このリポートは、『「反日」包囲網の正体』(PHP研究所)第8章の252P〈「日本軍の犯罪」を土下座して回る老人〉から263P〈「フーテンの寅さん」並みの名講談師〉の項に所収されています。これら書籍に所収されているリポートは、人間の力を遥かに超えた何ものかの不思議な力によって、発掘できた一次資料が所収されておりますので、圧倒的な説得力を発揮されていると確信しております。今年の8月15日は、靖国神社を参拝できませんが、1人でも多くの皆様方と、歴史認識を共有できることを切に望んでおります。

自民党歴史議連事務局長をされていらっしゃった西川京子先生が、インターネットの動画で『「反日」包囲網の正体』を評価してくださってます。《http://videosearch.mobile.yahoo.co.jp/search?p=%90%85%8A%D4%90%AD%8C%9B&sort=pdate&ySiD=ASP.TRfygdcapO4AQsog&guid=ON》

《http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4569797857/ref=redir_mdp_mobile/377-4568134-4079727?uid=NULLGWDOCOMO》

西川京子先生解説’

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14782912

※ジャーナリスト水間政憲;ネットだけ転載フリー
《http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/》

Originally published on Mizuma’s blog 「水間条項」国益最前線.初出:水間政憲のブログ「水間条項」国益最前線 Read the original ↗元記事を読む ↗

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