■『SAPIO』誌が南京問題の特集「南京事件は『虐殺』だったか」を初めて掲載したのは、1998年12月23日号に小生が発掘した小磯良平画伯の「南京中華門戦闘図」を掲載することがきっかけでした。
その絵は、日本軍がまだ南京中華門外で待機している状況を描いていました。そのキャプションに「敵が、火を放ちて遁走を企てたる…」と、中国軍が「清野作戦」(焼き払い)を実行したことを記述していたのです。
また、東中野修道氏が『SAPIO』誌に初めて執筆することになったのは、同号に寄稿した笠原十九司氏(「南京大虐殺」派の代表格)に反論する論文を、小生が打診したことがきっかけです。
1996年に『週刊新潮』は、「南京郵便袋虐殺事件」で我々原告側(虐殺は行っていない)が、東京地裁で勝訴したことに基づく記事を掲載してくれました。その記事は、1980年代からキョスクで扱っていた週刊誌で、「南京大虐殺」を否定的に記述した最初でした。この特集記事の企画を持ち込んだのも小生でした。
このときの特集記事が、中国と朝日新聞の「南京大虐殺」の情報戦へ対抗した原点だったのです。
情報戦を戦うためには、敵の論拠を知り尽くして急所を衝くことが大事です。
東中野修道氏は、自民党歴史議連が2007年6月19日に、憲政記念館で「南京問題の総括」を国内外の記者に発表した後に、西川京子事務局長に「民間でできることはやり終えましたので、これからは国会議員の方々にお任せします。南京学会は解散します」との趣旨の手紙を寄せていましたが、その総括では阿羅健一氏が「この議事録(国際連盟)で南京問題は終わった。これを理解できるのは日本に数人しかいない」と、断言していましが、小生も阿羅氏と同意見でしたので、東中野氏が我々と同様に判断した結果、「南京学会」を解散したと思っております。
南京問題がなかなか終わらないのは、南京問題の素人が出てきて、にわか専門家がトンチンカンな議論を繰り返しているからです。酷い者は、中山成彬歴史議連会長の私文書を偽造して、議連の総括に間違いがあったなどの文書(写真入りのハガキ)をばらまいた犯罪者まで出てきました。
小生が、ここで南京情報戦の舞台裏を明らかにしたのは、南京問題の終結を宣言できるからです。4月10日、西川京子先生が衆議院予算委員会をNKKが全国中継している中で「南京問題は終わったのです」と宣言したことも、これまでの積み重ねを宣言したのです。
新刊本『ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神』は、武士道精神で「南京大虐殺」を吹き飛ばす目的もあり、それは、「南京大虐殺」の世論をリードした本多勝一氏と洞富雄氏の論拠をつぶしたこと以外にも、例えば、第1回「芥川賞」の受賞者でもある小説家の石川達三氏が、南京陥落後に中央公論社から特派されていましたが、阿羅健一氏の質問に応えて「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です。大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。あの話は私は今も信じておりません」との手紙を『「南京事件」日本人48人の証言』(阿羅健一著、小学館文庫)312ページで明らかにしています。ちなみに同文庫は、小生が情報戦の武器として出版するため企画を持ち込んだものです。この石川達三氏の手紙は、死を前にした3ヶ月内の物ですので、石川氏が「南京大虐殺」があったかのような記述も、死の直前の証言が一番証拠能力があります。
『ひと目でわかる「「日中戦争」時代の武士道精神』の94ページの写真は、石川氏が南京に入城したまさに二週間後(12月27日)の南京城内の街路を中国人が行き交う情景を写したものです。
『「南京事件」の総括』(田中正明著、小学館文庫)も、情報戦の武器として小生が企画を持ち込み編集協力したものです。先に情報戦の武器をつくってあり、『ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神』は、南京問題を終結させれる最終的な武器の位置付けになっています。
南京問題は、実質的に終わっていますが、国内外の世論まで浸透させるには、覚醒されていらっしゃる皆様方の情報拡散にかかっておりますので、まず、無理することなく親族や友人に目覚めていただくことから始めて頂けることを願っています。
※ジャーナリスト水間政憲;インターネットだけ転載フリー〈条件・全文掲載〉http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/