※写真は、小樽龍宮神社に参拝された後、麻生太郎元総理と宮司さんたちとの記念の一枚です。
●拡散《日本和合のパワースポットになった小樽龍宮神社》
■昨日の記事に対して、麻生太郎先生が小樽龍宮神社に参拝し榎本武揚像の周りに植樹したことが、何故、日本和合のパワースポットになるのか疑問に思われた方もいらっしゃったようです。
榎本武揚は函館戦争の佐幕派総司令官だったのであり、官軍に逮捕されても榎本の博識を惜しむ官軍側が釈放して重用し、北海道の鉱山調査に訪れたことで、小樽に龍宮神社を建立するきっかけになったのです。
榎本武揚は、明治政府から小樽駅前周辺の広大な土地の払い下げを受け、榎本が設立した土地開発会社、北辰社の社長に新撰組のメンバーを就け、龍宮神社周辺には会津藩士が多く移り住んでいました。小生の友人に会津藩の元家老の親族もおりました。
このように小樽は、判官贔屓が渦巻く歴史的背景には佐幕派が多く入植ことも要因になっています。
現在、我が国で「新撰組」の物語を知ることが出来るのは、新撰組第1位の剣豪と知られていた永倉新八が移住していて、小樽で詳しく新撰組時代を証言したからなのです。
そのような背景のある小樽に、秋田から小林多喜二(当時4歳)の家族が引っ越してきたのです。
因みに、小樽に移住してきた小林家の借家を紹介したのは小生の親戚でした。戦後、小林多喜二の実母は、国道を挟んで向かい側に住まわれており、小生もよく存じ上げておりました。
そんな小樽だからこそ、日教組発祥の地になったのも自然な流れだったように思えます。そんな小樽が、坂道を転げ落ちるように斜陽化しているのも必然と思っております。
それ故、小樽は、日本の斜陽化を二十年先取りしていると思っています。
これら小樽(北海道)の鎮守でもある龍宮神社には、過去一度も官軍側の高官や親族が参拝しておりませんでしたが、官軍側の重鎮であった大久保利通の曾孫であられる麻生太郎先生が参拝された意義は、歴史的な出来事だったのです。
今、歴女や仏女が空前のブームになっており、榎本武揚が小樽龍宮神社を建立してから百数十年の歳月が過ぎて、賊軍と官軍の和合が、麻生太郎元総理が参拝し榎本武揚像の周りに植樹したことで実現したのです。
小樽龍宮神社は、JR小樽駅から歩いて数分のところにありますので、観光で小樽を訪れた歴女・仏女の皆様方には是非、参拝していただければ幸いです。
※ ジャーナリスト水間政憲;ネットだけ転載フリー《http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/》
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