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※写真は、『母と一緒にうたった秋』(深川小劇場)での一場面です。右側から西館好子(日本子守唄協会代表)、喜多由浩(産経新聞編集委員)、川口京子(歌手)、長谷川芙佐子(ピアニスト)
●超拡散『表裏井上ひさし協奏曲』(西館好子著)は、「反日文壇」への鎮魂歌
■現在我が国は、政治・経済などの低迷だけでなく、文壇や画壇はすでに崩壊し、国家存亡の危機的状況になっております。
芸術・文化は、国家の総合力の延長上に咲く華です。
これらは、国の総合力を写す鏡の役割もあります。また、いちジャンルとはいえ「反日文壇」は、「コトバ」で直接国民に訴えかけていたのであり、国民の国家意識を弱体化した責任は、言論界の中でも出版量が多い小説家の動向を知ることが出来れば、我が国の衰退原因のかなりの部分が明らかになります。
それが『表裏井上ひさし協奏曲』(西館好子著)に記載されている戦後の動向の中に収録されています。とくに1970年以降、顕著になった「反日文壇」の形成過程が、井上ひさし氏という一人の小説家を通して、垣間見ることが可能になりました。
その内容は、井上ひさし氏の人的交流だけでも衝撃的であり、土井たか子氏(社会党)や上田耕一郎氏(共産党)が井上家に出入りしていたり、定期的に中核派や革マル派を支援していたことなど、すべて西館好子氏が応対したことを綴ってあります。
我々、保守言論人がオピニオン誌で、「反日サヨク」を繰り返し批判していたことと比較すると、「反日サヨク」に与えるダメージは絶大であり、息絶えだえになっている「反日文壇」への鎮魂歌になる国民の必読書、と断言しても過言ではありません。
井上ひさし氏の暴力は、異常の一言で片付けることの出来ない根深い闇があります。
好子夫人への暴力が最高潮に達したのは、離婚の寸前であり、その直ぐ後に再婚した米原ユリ氏(1953年生まれ)は、井上ひさし氏(1934年生まれ)が心酔していた共産主義に於ける、日本の超エリート家庭の「お姫様」だったのです。
米原ユリ氏の父親米原いたる(永へん日)氏(島根県の財閥)は、日本共産党の代表として1959年から五年間、国際共産党の理論情報誌『平和と社会主義の諸問題』の編集委員に選出されプラハに赴任していた。その時、家族もプラハに帯同しており、帰国後、共産党に入党してロシア語通訳者となった米原万里氏は、井上ひさし氏の後妻ユリ氏の実姉です。
米原いたる氏は、日本共産党常任幹部会委員・赤旗編集長・衆議院議員を務めた日本共産党の幹部だった。
井上ひさし氏は、再婚後の住まいを、米原万里氏なども住んでいた鎌倉市に移られたことで、名実ともに華麗なる共産党一族の一員になれたと、欣喜雀躍されていたと思われます。
しかし、その華麗なる生活の前に繰り広げられた井上ひさし氏の好子夫人への暴力は、「革命は暴力から生まれる」とか「目的は手段を正当化する」とする、共産主義思想を実践したような実態を、『表裏井上ひさし協奏曲』に余すところなく記述されており、驚愕させられます。
井上家では、〈天皇はわが家にとって禁句の最たるものであった。「君が代」も「国旗」も「英霊」も「敬礼」も禁句だった〉との記述もあり、井上ひさし氏の反皇室は筋金入りだったことを明らかにされています。
それら皇室問題で、西館好子氏が井上氏と決定的な亀裂を迎えたことを、オーストラリア国立大学に客員教授として招聘されたとき、同大学の日本語学科ロジャー・パルバース教授と井上氏の日夜行われた議論に原因があったと記されています。
それは、〈そこでの話題のほとんどが、日本の天皇制に対しての批判だった。狡猾な政治家と国家のありよう、陰湿な陰謀……、その土壌は「天皇制」から生まれ、それを利用する特定の人間と組織によって庶民は苦しめられる。人間の象徴など必要ない。暗殺者が出れば英雄になるだろう、というものだった。(中略)こんな連日の話題に耐える能力は私にない。「自分で天皇を暗殺して来なさい!それからなんでも言いなさい」私はハンドバックを投げつけ、それが引き金となって、井上さんとは口をきかなくなってしまった。〉と、述べられており、離婚の遠因は、この頃からくすぶっていたことが誰にでも理解できます。
同書が、単なる著名人の家庭内騒動を記述したものであれば、「わたる鬼」などのドラマネタとして、面白いだけで終わってしまうところだが、日本ペンクラブ会長に君臨していた井上ひさし氏の「思想」や「交流関係」の実態が明らかにされており、戦後の言論界が社会主義思想に汚染されていた実態が一目瞭然にされており、その中で、現在問われている「家族の絆」を、綺麗事では語ることのできない現状を再考するうえで、またとない「教科書」にもなり得る濃密な内容になっています。
井上ひさし氏が憧れ、崇めていた小説家は大江健三郎氏だったと記されており、奇しくも拙著『「反日」包囲網の正体』の中で、我が国を破壊する小説家の言論として採り上げた二人が、大江健三郎氏と井上ひさし氏だった。しかし、拙著で論じたことは、公になっている当人の発言に基づくものであり、『表裏井上ひさし協奏曲』に記述されているプライベートな生態を、あわせ読むことで、彼らの思想の本質を知ることができることでしょう。
現在、インターネットで「九条の会」と、検索するとGoogleのPCサイトで1,310,000件ヒットする巨大組織に発展しているが、その萌芽にも「九条の会」の発起人である井上ひさし氏が深く関わっていたことも明らかにされています。それは、〈矢崎さんの友人の針生一郎さんは左翼の活動家で、活動の資金集めに苦労していた。(中略)井上さんに朝日新聞が一千万で「憲法九条を守れ」という意見広告の枠を買わないか、と言ってきた時、真っ先に矢崎さんに相談したのもそのことを知っていたからだ。具体的な会議は我が家で行われた。政治に参加していた中山千夏ちゃんも一緒だった。〉と、1970年代、美術評論家として影響力を持っていた針生一郎氏も一体化していたことも、「なる程な」と納得した次第です。小生が造形作家として活動していた当時、友人に誘われて「アーティストユニオン」の創立に参加したことがあり、その時、関わっていた主要美術評論家が針生一郎氏だった。小生は、第一回の展覧会の運営方針に納得できず、執行部を批判して脱会したが、生理的に気持
ち悪いと思っていたことの深層に、共産主義思想があったことをあらためて同書で確認できました。
いずれにしても、保守言論人の著書を百万冊読んでも解らない、「反日小説家」の生態を、同書は余すところなく伝えてくれてます。
西館好子氏が『修羅の棲む家』でも井上ひさし氏のDV(暴力)を記述して衝撃的だったが、新著は、一見すると井上ひさし氏個人を論じているように見えるが、実際には、「根無し草」の思想に席巻されてきた出版業界へ、国民が求めていた現実を無視して「反日文壇」を構成してきたことへの苦言と、とれる箇所が随所に淡々と記されています。
※新著も『修羅の棲む家』と同様に、あまり書店に並べられることは無いだろうが、インターネットで購入できようになった現在、『表裏井上ひさし協奏曲』がベストセラーになれば、女性(主婦)層から、我が国を建て直す声が、湧き上がってくると確信しております。
西館好子氏が「日本子守唄協会」を主宰して、全国で「子守唄と唱歌を歌い続ける会」を巡演している活動は、戦後、音楽家の「戦争責任」の矢面に立たされた山田耕作や北原白秋たちが、戦前、精魂込めて作った「唱歌」にも焦点を当てていることで、それらの名曲を抹殺することに加担していた、「反日文壇」への「鎮魂活動」のように思えてなりません。
我が国を憂いている皆様、『表裏井上ひさし協奏曲』を大ベストセラーにして、「反日文壇」を完全に粉砕しましょう。
修羅の棲む家―作家は直木賞を受賞してからさらに酷く妻を殴りだした
※ジャーナリスト水間政憲;ネットだけ転載フリー(条件;全文掲載)
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